哲学入門

上品と下品

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小田急線や京王線の新宿駅でとくに夜遅い時刻の急行のドアが開くや否や、今までホームで穏やかなふうを装っていた乗客たちのあいだで露骨な席取り競争が始まり、アッというま、ほんとうにアッというまに席は埋まってしまう。そんなとき、コノ見苦しい競争に加わるのを購踏している「上品な」乗客は、エンエン本厚木や八王子まで立ってのです。

席を確保するには「そのとき」が大切です。それまでは、居眠りをしていてよい。しかしそのときが来るや、思いっきり下品に「われがち」になる人だけが座って帰れる。静かな学界においても、急行到着のような大切な時がある。「そのとき」悠然と構えていては、ウダツが上がらない。いっウッラウッラし、いつも目をひんむいて「われがち」になるか、このルールを知っている者だけがエラクなれる。

学者たちもつねに競争しているが、競争していないふうをいつも装っている。しかし、日ごろ悠然と構えている学者たちも、ココゾというところに来ますと君子約変たちまち剥き出しの競争に突進し、そこでノロノロしている者は落ちこほれてしまいます。

前後左右よく見て行動しないと

「小さな罠」とは何か、「逃げ足の遅い知識の持ち主」とは何か、「ラスの手袋」とは何か、「いかさまサイとは何か、学者を一年も続けていればアアあのことかと明断かつ判明にわかることばかり。

有名大学のポストや出版社の大シリーズ企画や××賞が降ってくるココゾというとき、前後左右よく見て行動しないと、アッというまに後れをとってしまう。そのとき神士的に振る舞うと、一生(八王子まで立っていなければならない。それが嫌なら、そのときは「ガラスの手袋をして」「毒をこしらえる」のも辞してはならない。

自分より聡明な者(席取り能力が優れている者)には「いかさまサイを投げ」、「小さな罠をしかけて」駆逐し逃げ足の遅い」ヤツの身体を踏み越えて席を取ることも臆してはならない。

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