雑学

ジャンヌダルクの生涯と処刑

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トイレットペーパーの歴史

ジャンヌダルクの生涯と処刑

・処刑されたジャンヌ・ダルク

ジャンヌダルクは「国を救え」という神のお告げを受けたと信じ、一四一九年、十七歳のときにオルレアンをイギリスの包囲から解放し、国王シャルル七世の戴冠式を行なわせたのである。「フランスを救った聖女」といわれるジャンヌ・ダルクは一四一二年、北フランスの農家に生まれた。

当時は百年戦争のさなかで、イギリスに攻撃されたフランスでは戦火が絶えなかった。一四三〇年五月二十一日、戦闘中に馬から落ちたところをブルゴーニュ派に捕まり、イギリス軍に売り渡されてしまった。こうしてジャンヌダルクは、宗教裁判で「異端」のレッテルを貼られ、一四三一年のこの日、ルーアンで火あぶりの刑にされたのだ。しかし、のちフランスの国民的英雄となった。

二宮尊徳に農村復興を命ず

・二宮尊徳に農村復興を命ず

ペリーが浦賀に入港する数日前のことである。二宮尊徳は天明七年(一七八七)、相模に生まれたが、十代で父母を失う。このため、たいそう苦労したものの、努力が実って四町歩の地主になった。その手腕を買われたわけである。嘉永六年(一八五三)のこの日、徳川幕府は二宮尊徳に対し、荒地再懇・窮村復旧の方策を立て、実行に移すように命じた。

ティークリッパーの競争

・ティークリッパーの競争

一八六六年のこの日、アリエル号、テービング号、セリカ号などのティークリッパーが中国をほぼ同じ頃に出発し、インド洋から大西洋、そしてイギリスまでの激しい競走をはじめた。ヨーロッパで紅茶を飲む習慣ができたのは十七世紀だが、十九世紀のイギリスではどこの家庭でも愛飲するようになった。このため一日も早く中国から新茶を運ぼうと、お茶を運ぶ快速船、すなわちティークリッパーが登場、活躍したわけである。三カ月を超す熱戦のすえ、第一位になったのはテービング号。その後も盛んに競走が行なわれたが、ウィスキーの銘柄として知られる「カティサーク」も、このティークリッパーだった。

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