コミュニケーション

自我防衛機制と合理化

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人はどうも自分に甘いようです。それでいて、つまらぬいいわけだけは小利口に用意しています。そんないいわけを捨てて、自らの退路をたち切れば、いやおく弱い自分と闘わざるを得なくなるものです。

燃えつきれば結果はどうあろうと、自分は全力をつくしたのだという自分自身に満足ができます。なにも必要以上に力んでわめいたり、出しやばる必要はありませんが、せっかく神から与えられたこの人生です。生理的に息をしているだけではもったいないじゃないですか。

人間には我ままなところがあって、自分の行為を合理化することには必死に努力しているように見えます。「私ではとても」とか「全くだめです」と自分勝手にきめてはいけません。仕事も最初はつらいものです。ほんとうに仕事が楽しくてしょうがないというのだったら、その人が倫快料か、享楽料として会社に金を払うのが筋です。

逃げ腰になれば、それだけ望むものから遠ざかっていきます。弱い人ほど、自分を妨害と立ち向かう状況に追い込むことです。そうすれば、徐々に心のスタミナ、心理的な抵抗力を身につけることができます。

自由主義社会は、ギブ・アンド・テイク

自由主義社会は、ギブ・アンド・テイクです。あることで満足を得るのであれば、その反対給付として、それに見合う金を支払うのが原則なのです。

フリーターやアルバイターが弱いのは、生活がかかっているという、社会人としての責任を果す職業観が弱いからだと思います。これが正しいというのであれば、その主義で堂々と一人でその道を貫けばよいでしょう。そうでないと、「〇〇連」などすぐグループに逃げこむようになります。

フリーターやアルバイターが弱く見えるのは、とことん、追求していく迫力を感じさせないからなのです。そうなると、相手も「いい気なものだ」と本気で受けとめてはくれないでしょう。

迫力は作って出るものでもありません。とことん、追求していくからこそ出てくるものなのです。本気から来る迫力は、鬼気迫るものがあります。本気の迫力は、ニコニコした人からでも伝わってきます。

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