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心理学

自分の知覚は自分だけのものにすぎませんが

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敵対的、孤立的関係のもとでは、たしかに自分の知覚は自分だけのものにすぎません。しかしたとえば、ある政治家が本当に世界平和を憂え、自分が知覚するさまざまな危機や、その打開の道を語ったり書いたりすることは、それに直接間接に触れる私たち自身の知覚ともなります。逆にその政治家にとって、さまざまな仕方で世界情勢を知覚し、真剣に考えている人々がいるということは、あたかも自分の延長線上の一心同体のものとして感じられるでしょう。

家族や職場の同僚が、とくに危機状態のようなときに一心同体で働いているようなときは、一人一人の知覚する情報が、ただちに共有され、それこそ集団として、自覚的な意味を享受しているといえる。このことを敷術していくとはるかに困難ではあるけれども、大きな集団や人類規模の共同知覚を考えることができます。

一般に共同思考については、私たちは集団討論や、「三人寄れば文殊の知恵」式の協力ということで、いっそう身近な実感をもっています。しかしそれも、考え方が合っていたり、仲のよい者どうしの、比較的閉ざされた間柄の中でしか通用しにくいようです。

個個人のユニークさが犠牲になってしまう

集団の思考が大義名分としてまかり通れば、個個人のユニークさが犠牲になってしまうでしょう。むしろ共通理解に至らなくとも、一人一人がみんなの中でユニークな思考をしていくことが、そしてそれぞれ分かち合われ尊重されていくことが、人類規模にまで広がりうる共同思考の原型ではないでしょうか。

本当は違った考えの者が討論して集団として止揚発展をさせていくのが集団思考の本筋であるのに、自分が相手を論破したとか傷つけられたというような考えが起こってきやすい。よくいっても、討論で共通のよいものが生み出せたという喜びより、自分が討論からえたものを喜ぶにとどまってしまうのです。

主義主張を同じくする同志の間で一体感や思考の共有がなされることは容易ですが、本当に開かれた心には、主義主張を異にする人々の思考も共有されます。異なった思想の共存や対決の過程は、全人類共同体の内的な迷い、内的葛藤、決断、統合の過程として感じられるでしょう。

-心理学

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