やさしさとはいったい何でしょうか?やさしさというのは、その文字の示すとおり、人を憂える心のことです。やさしいことば、やさしい笑顔、やさしい行為、そしてやさしい話し方、すべて甘美なことばです。ですから、多くの人がそれを心から求めているのでしょう。
やさしさというのは何であるか、深く考えるとなかなかむずかしいものですね。あなたはどう考えますか。やさしさというイメージの多くが、「やさしい話し方」を想像する場合がよくあるかもしれません。やさしい話し方とは、他人を憂える、見えない心がかもし出す心の色合いであり、響きなのです。話は心の表出です。
人の心を動かし、感動させるのは、話し手の人間性、つまり心であり、話された内容の密度、重みなのです。逆にいえば、話す技術がどんなにうまくても、下手な話があるということでもあります。
ものを見るとき、どうしてこうせっかちに判断するのだろう、と思うことがよくあります。話というのは、もっと奥のこと、もっと関連したことなどを含めて、トータルで判断すべきだと思います。そうでなかったら、ほんとうにわかったとはいえません。皮相的な見方は、それだけ浅薄な頭を暴露しているようなものです。
好ましい影響を与えることはできない
象形文字のように、形でその意味が視覚的にわかる手がかりになるものもあります。音声をともなった送りことばは、音からくる力強さに圧倒されることがあるものです。最近一般に、声の小さい人が多いとよくいわれます。理由はいろいろあるでしょうが、結果として聴き手に好ましい影響を与えることはできていません。
あまり恵まれすぎると、感性がさびついて小さな親切にも、少しくらい物をもらってもありがたみがわかなくなってしまうものです。いきおい、あたたかいことばも出てこなくなってしまいます。寒さにふるえた人はちょっとしたあたたかさにも敏感に反応するものです。感動は、その人の心理的な空間の広さによるといっていいでしょう。
余韻を残す意味でいい場合もありますが、燃えつきる姿もまた、まばゆいほど美しいものです。最近では残念ながら、多くの人が燃えるような話をしていないように思えてなりません。