雑学

ウズシオタローというハイセイコー以上の名馬がいた

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競馬で全員当たったら

ウズシオタローというハイセイコー以上の名馬がいた

ウズシオタローというハイセイコー以上の名馬がいたというのをご存知だろうか。名馬といえば、古くはトキノミノル、セントライト、シンザン。そうそう、怪物ハイセイコーも忘れてはいけない。

ところで、ハイセイコーと同じ公営競馬に、ハイセイコー以上の名馬がいたことは、あまり知られていない。

その名はウズシオタロー。所は島根県の益田競馬場。日本で一番小さな競馬場で走った彼女の、日本一の勲章は、デビューしてから10年7か月、実に250回のレースを無事に走り抜いたことだ。

普通、競走馬は、多くても40~50回走って、7歳ぐらいまでには引退するものだが、ウズシオタローが引退したのは昭和63年10月、実に12歳だった。馬の世界で12歳と言えば、人間では60歳以上に相当するわけで、言わばお婆さんが、自分の子供や孫と一緒に本気で競走していたわけだ。

まさにアイアンレディーと言えよう。そんな彼女だけあって、地元では競馬を知らない人でも、タローさんのよう頑張んなさい、があいさつとなったほどで、野球界の鉄人・衣笠さんも、ウズシオのごとく走りし鉄馬かなと、句を贈っている。コツコツと走り続けた生きざまは、まさに庶民の代表と言えよう。「ウズシオタロー」は250戦で引退した。なお、ウズシオタローの250走というのは、もちろん日本記録のようであった。

しかし、出走記録は高知のヒカルサザンクロス号が251戦の新記録を樹立して抜かれている。ヒカルサザンクロスは95年10月にJRAからデビュー、その後、上山、金沢、高崎に活躍の場を移し、98年12月に高知競馬(宗石大厩舎)へ転入。

ヒカルサザンクロスは、95年10月のデビューから07年12月24日まで、約12年2カ月にわたり走り続けた。ヒカルサザンクロスはハルウララで知られる宗石大厩舎の所属馬。

サルトルの母はボーボワール

「直線に差し掛かって、大外を通ってヤが矢のように飛んできた。ヤだ、誰だ、ヤが先頭だ。ヤ、ヤ、ヤ」。これ、何の実況放送だか分かるだろうか?分かった人がいれば、かなりの競馬通だ。この「ヤ」は地方競馬で実際に走っていた馬の名前なのだが、もし実況中継されたとしたら、アナウンサーも困ったに違いない。

馬の名前にも色々あって、最近ではナイスナイスナイス、サクラガサイタなどが傑作の部類と言えるが、馬名制限のない昔は、物凄い名前がたくさんあった。特に地方競馬には、人を食った名前が多く、走った時も所も違うが、こんな馬名が実際にあった。

ヤレパワカル・カチタイ・シメタ・キタキタ・ヨシキタ・ニッコリ・マンゾク・ゴールイン・メデタイ・マタカツ・カネタマル。こんな馬たちが同じレースに出走したら、実況放送などばかばかしくてやっていられなかったに違いない。現在は、馬名制限を設けて、珍名’奇名を撫倒している。例えば、有名馬と同じ馬名、またはこれとまぎらわしい馬名、父母と同じ馬名、またはこれとまぎらわしい馬名、すでに登録を受けていたり、登録を抹消されて5年を経過していない馬名と同じ馬名、明らかに広告宣伝を目的とした会社名や商品名などと同じような馬名、また競走馬の馬名として相応しくないものなどとなっている。

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