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心理学

溶け合う愛の願望

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二世紀のアメリカの詩人イヴォール・ウィンターズは「跡を継ぐ者に望む、わたしたちをひとつの壺に封印してくれと二度と帰ることのない、ひとつの魂として」そしてミルトンは失楽園のなかで、イヴにたいするアダムの言葉でそれを完璧に表現している。「ぼくらはふたりでひとりひとつの肉体きみを失うことは、自分を失うことだ」。

愛する人と溶け合いたいというこの願望は、世界中の文学に浸透している。六世紀に活躍した古代ローマの詩人パウルス・シレンティアリウスは書いている。「唇を固く合わせた恋人たちが横たわる狂乱したように、どこまでも湯望するどちらも相手のなかに入りこんでしまいたいとばかりに」。

哲学者ロバート・ソロモンは、この強烈な願望こそが、恋する人間に「愛している」といわせるおもな理由だと考えている。これは事実を宣言しているのではなく、確認を求めているのだという。恋する人間は、「ぼくもわたしも愛している」という相手の返事を期待しているのだ。愛する人との感情的な一致を求める気持ちが強いあまり、恋に落ちた人間にしてみれば自分自身との境界線がぼやけてしまうこともある、と心理学者たちは考えている。

手がかりを見つけようとする

イギリスの詩人ロバート・グレーヴズが書いているように。「ノックに耳をそばだて、合図をいまかと待っている」。その人の行動を子細に分析し、自分のことをどう思っているのか、手がかりを見つけようとすると答えている。

フロイトもいっている。「恋愛状態がピークに達すると、自我と対象の境界線が消える恐れがある」。小説家ジョイス・キャロル・オーツは、至福の融合というこの感情をあざやかにとらえた。「彼らがいきなりこちらを向けば、こちらは引き下がる、かすかに震えるわたしたちはふたりの人間に引き裂かれてしまうのだろうか?」。相手も自分を想ってくれているのかどうかわからないと、人は相手の一挙手一投にいちいち過敏に反応してしまう。

-心理学

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