哲学入門

哲学者らしい部分は単純に静かに生きること

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プラトンやアリストテレスと言えば、長い学者服を着た人としかだって人並みの人間で、ほかの人たちと同様に、友達と談笑していた。そして、彼らが法律や政治学の著作に興じたときには、遊び半分にやった。それは、彼らの生活の最も哲学者らしくなく、最も真剣でない部分であった。最も哲
学者らしい部分は、単純に静かに生きることであった。

人間は大嫌い、権威も大嫌いですが、ストリップも大好き、印税も大好き、名声も大好きでその延長上に文化勲章が来てもさしておかしくない。お金が大好きなように勲章も大好き。自分の小説の読者は大好きだけれど、そのだれ一人にも会いたくないすべてよくわかることばかり。

「遊び半分」とは、少々言いすぎのような気もしますが、(哲学研究者ではなく)哲学者の最も真剣にすべきことは「書くこと」ではなく「生きること」だというところに、この文章の真意はあります。

実例はたんに書物によってのみではなく

実例はたんに書物によってのみではなく、眼に見える生活によって与えられなくてはならず、したがってギリシアの哲学者たちが教えたように、語ったりあるいは書いたりすることなどによるよりも、態度・服装・食事・習慣によって与えられなくてはならない。

ニーチェもまったく同じことを語っている。哲学者が制作するものは、何よりもまず彼の生活である。それこそが彼の芸術作品なのである。哲学者というものの偉さを、彼が実例を示すことのできる程度に応じて認める。

ニーチェは「眼に見える」生活を清廉潔白品行方正にせよ、と言いたいのではない。ニーチェの生活が品行方正とはトテモ言えないことを本人自身がよく知っていることでしょう。そうではなく、哲学者たるものまず自分の日常生活)に眼を向けよ、そして語るとしたらそれに沿った「血の言葉」を使えそれ以外はみなウソだということです。ソクラテスがもし逃亡したら、その行為によって彼の語ったことすべてがウソになります。

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