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稀代の天才、本田宗一郎

投稿日:2015年8月21日 更新日:

当時、私は高校生で東京へ来てはそれらのクルマの写真をとっていた、と語るある人。そのイギリススポーツカーの中で日本で最も人気があったのはジャグァーであり、XK120、140、150というXKシリーズはスポーツカーの王者だった。

第2次大戦後のイギリスは貧乏でドルを稼ぐためアメリカ向けのスポーツカーをたくさん作った。それがトライアンフTR3、TR4であり、MGTD、TF、MGAであったのだが、それらのスポーツカーが日本へ少数入ってきた。

まだ日本ではアストンマーチンのすごさが解っていなかった。話は飛んで1963年、本田さんの作った鈴鹿サーキットの4輪車のオープニングレースは外国の招待者によるレースでアストンマーチンDB4GTツァガートとフェラーリ250SWBによる追いつ追われつのドッグファイトは多くの日本人に強い印象を残した。当時、このことはかなり大きかったようだ。

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ホンダの第一作はホンダスポーツ500

本田さんは世界一の自動車メーカーになりたいと思っていたが、それは数多く売れるクルマを作ろうというものではなかった。本田さんが信じるマーケットは若者が望んでいるクルマで、それは安くて軽いスポーツカーだったのだ。だからホンダの第一作はホンダスポーツ500であった。

1964年は式場壮吉のポルシェカレラGTS904の圧倒的な勝利に終る。日本のポルシェブームの原点である。ホンダはこの年ホンダ初の市販車ホンダS600でGT1に出場している。世界にカーメーカーは多いが自社でレーシングサーキットを所有し、初めての生産車がそこを走るための2座オープンスポーツカーという会社はない。やはり本田さんは違っている。

1963年、このクルマは登場する。そのクルマでスタートしたホンダは軽自動車N360で大ヒットを飛ばし、本田さんの想い通り若者に大ウケする。自動車メーカー、ホンダの最初の製品はスポーツカーであること、自動車を作り出すと同時にF1に参戦したこと、総て本田宗一郎という希代の天才のやったことである。

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