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ソ連の経済発展とデモンストレーション効果

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ソ連の経済発展とデモンストレーション効果については、一九六〇年代になってもやはり危惧されていた。だがその頃、ソ連経済は主としてエスカレートする一方の軍備拡張競争のせいで停滞し始めており、ソ連のフルシチョフ首相はそれに歯止めをかけようと努力を傾けていた。

経済界のリーダーは、大衆が新たな政治力に目覚めることによって産業資本家が直面す危険を警戒し続け、惨事を免れるためには常に世論操作をする必要があると感じていた。米国内では一時的ではあるが、ウィルソンの赤の恐怖によって、社会不安がおおむね抑圧されていた。労働者はロシアで育成されていた人民の評議会に強い関心を示していたが、やがてボリシェビキの台頭によってそれは潰された。この反革命的な暴力行為も西側のエリートの不安を和らげはしなかったが。

ロシアはヨーロッパにおける第三世界の元祖であり、第一次世界大戦まで西洋諸国に比べると衰退し続けており、その一方で資源、市場、投資の機会を提供するいかにも第三世界らしい役割にあった。冷戦そのものの起源は一九一七年にあり、多くの意味で南北紛争が拡大したものだ。ロシアは国の規模及び軍事力ゆえに、特殊なケースだった。

ソ連政府が広範囲にわたる深刻な介入を図る可能性に備えて

ナチス・ドイツを打ち破る上で主導的な役割を果たした後は、重要性が増しつつある要素でもあり、軍事面では超大国の地位を獲得していた。だが、西洋以外の世界がどこでもそうだったように、主たる脅威は残っていた。こうした根拠に立てば、一九四五年に米陸軍省によって記された合理的な不合理を説明することも可能だ。

国際問題において、新しく出現したソ連政府が広範囲にわたる深刻な介入を図る可能性に備えて実施されたのであり、単に西洋諸国だけでなく、世界のほぼ全ての国に介入する恐れがあった。ジョン・ルイス・ガディスは、ロシアとアメリカの紛争を一九一七年まで現実的にたどって、西洋が革命直後に介入したのは、正当化しうる防衛行為だったと説明する。陸軍省はアメリカが世界の大半を支配し、ソ連を軍事的に包囲して、敵側には同様の権限を何ら認めない計画を準備していた。

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