教育

生涯学習時代と社会教育

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日本の社会では、実際に必要なことは社会に出てから学ぶことが多い。その意味で、もともと「生涯学習」の社会であった。ただ、これまでの企業内教育は、その企業に特有の知識を教える面が強かった。今後は、企業の外でも通用する一般的な知識や技能の必要性が高まるだろう。つまり、文字通り生涯学習の時代になるだろう。

近のようにパソコンが普及してくると、これまでは縁がないと考えていた人々も、パソコンを操作する必要に迫られる。それだけではない。経済やビジネスのさまざまな分野で、かなり高度の数学を用いるテクニックが増えている。「文系だから」という言い訳では、済まされない。

これまで、「会社の仕事とつきあいで、とても勉強する暇などない」というビジネスマンが多かった。確かに、終身雇用制をとる日本の企業では、勉強よりつきあいのほうが大事だった。しかし、今後の日本は、この点で大きな変化を経験せざるをえない。経済環境の変化によって、産業構造は大きく変わる。新しい知識を積極的に取り入れてゆかなければ、これからの競争社会についてゆくことはできないだろう。

勉強に終わりはない

勉強に終わりはない。何歳になっても勉強はできる。勉強を始めるのに、遅すぎることはない。人間は何歳になっても、学習によって進歩する動物なのである。トルストイは、老年になってからイタリア語の勉強をした。

変化を反映して、資格試験や昇進試験のために勉強するビジネスマンが増えてきた。週末のゴルフはやめて、その時間を勉強にあてるという人もいる。これは、大変歓迎すべきことと思う。ただ、ビジネスマンの勉強は、資格のためだけではない。もっと広い観点から勉強を続けてゆく必要がある。

ゲーテは、死の直前まで『ファウスト』を書き続けた。作曲家フォーレの作品は、七十代になっても進歩が見られた。ピカソは、九十一歳になってもベッドの側で創作活動を続けた。二十一世紀の日本社会は、高齢化社会である。これは、マイナスのイメージで捉えられることが多い。しかし、退職後の自由な時間が長くなるのは、考えてみれば素晴らしいことだ。

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