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コミュニケーション

日本人が表情がないといわれる理由の一つ

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畳の上にすわっているのは、椅子にくらべてはるかに視界が狭いことになります。逆に言うと、あまり目を動かす必要がないわけです。加えて、文字が縦書きであるのは、目の構造が左右よりも上下に狭いせいもあって、運動距離がく、習慣的にも目の表情に乏しくなっていくのです。運動性を基準にして考えますと、少なくとも有史以来つづいている膝を折ってすわる日本人の生活様式が、今日のこの固定された表情に、一層の拍車をかけているように思えます。

つまり、野球で言えば、バッターは腰で打てと言われますし、ピッチャーは腰で投げろと教えられます。椅子の場合は、必要に応じて体の向きを変えることもできますし、足も比較的自由ですが、すわってしまうと、体はひとつの方向に固定されてしまいます。すわる生活に日本人が入っていった理由は、気候、風土、骨格、住居形式などたくさんありますが、そこから生じてきた影響のひとつに考えられることに、すわった場合の視界の狭さというものがあります。すべて運動の中心は腰にあります。

腰はまったく固定されてしまいます

しかし、膝をふたつに折った正座でも、あぐらでも、腰はまったく固定されてしまいます。下半身の自由は全然きかなくなります。畳の上にすわった時の目の高さは、床から九十センチないし一メートルです。椅子にすわると、一メートル三十センチないし四十センチです。骨と椅子では約四十センチの開きがあります。つまり、座敷で向かい合って相手の目を見た時に、相手のすわっている全身が部見えたとします。それは頭のてっペんから膝頭までです。同じ位置で椅子にすわれば、もちろん相手の足先までは見えません。

しかし、目を下げるか、顔を下げるか多少の運動を加えれば見えます。畳にすわると顔の位置は、背中を伸ばしたり、ゆるめたりして、多少は上下に動くかも知れませんが、その幅はごく僅かなものです。前後はほとんど不可能で、動かすのはシビレがきれた時ぐらいのものです。肩の動きも窮屈なので、従って首の自由も椅子ほどにはききません。差は単にこの目あるいは顔の運動だけではなく、椅子だと、背をもたれたり、体を前にのり出したりして、前後に視界を調節したりすることができます。

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