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政治

西側世論がNATOの介入を支持するように仕向けること

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国連は難民登録を始めた。こうした基本的な事実は、一九九九年三月にミロシェヴィッチが起訴された時にはよく知られていた。西側の富裕国の記録資料は三月二四日の空爆が始まるまで重大な変化を何一つ記していず、あるのはNATO軍の攻撃を受ける二日前に監視員が撤退した時、セルビア側の残虐行為が幾らか増えたことくらいだった。コソヴォはNATOの空爆以前から騒然とした場所で、その前年にはさまざまな勢力間の争いのために推定二〇〇〇人が殺されていた。

一連の恐ろしい犯罪が詳細にわたり記されていたが、ほぼ例外なく、いずれも空爆後に起こったものだ。三月二四日に空爆が始まると、ジョージ・ロバートソン英国防相(後のNATO事務局長)が下院で証言し、一九九九年一月半ばまでコソヴォ解放軍(KLA)の方がセルビア当局よりも多くの死者を出していたと述べた。彼らの目的はセルビア人を殺して激しい反動を誘発し、西側世論がNATOの介入を支持するように仕向けることだった。

四五人を殺害したとされる事件

彼が言及したのは、その頃CIAの支援を受けていたアルバニア系ゲリラのことだ。ロバートソンとクックは、一月一五日のラチャックでの治安部隊による大量虐殺に言及した。四五人を殺害したとされる事件だ。その後の議会の調査で、ロビン・クック外相が一月二八日に下院に対し、KLAは停戦違反を繰り返し、今週までの犠離者は、ユーゴスラヴィア治安部隊が出したものより多いと告げていたことが判明している。

事件後も、西側の記録では暴力行為の広がりに目立った変化はないので、彼らの下した結論、それが一月半ばに有効だったならば、三月末でも基本的には変わっていないわけだ。当時、そうした虐殺が米英の指導部にとって何ら憂慮すべき事態でなかったのは明らかだ。従って、そのすぐ後に東ティモールのリキサで起きた虐殺は、ラチャックよりも遥かに残虐な事件であり、しかも同様の残虐事件の一例にすぎず、自衛を口実にはできなかったことになる。

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