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哲学入門

ものを書く人はそれだけで不正義である

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作家の高橋源一郎は、太宰治の短編、親友交歓によせてこの問題を見事に分析している。流行作家になった太宰治を小学校の同級生である農民が訪ねる。その男は上がりこむや、酒を飲ませろ配給の毛布をくれおまえの作品はつまらない等々、せかける。こうした狼稿に太宰はオロオロしながら唯々諾々と従う。そしてーこの親友は帰りがけに玄関口で、彼に「威張るな」とささやいた。

ある文芸時評で「書く」ことこの場合は書いて刊行することそれ自体が不正義であることを語っている。この記事を読んだとき、自分のうちにモヤモヤくすぶっていた疑問が瞬時に雲散霧消し、私はホッと救われたような気持ちがしました。

もの書く人はそれだけで不正義であるー作家太宰治のモラルはこのことにつきている。ものを書く。恋愛小説を書く。難解な詩を書く。だれそれの作品について壮大な論を書く。政治的社会的主張を書く。記事を書く。エッセーを書く。そして、文芸時評を書く。

もの書くということは、きれいごとをいうということである。あったかもしれないしなかったかもしれないようなことを、あったと強弁することである。自分はこんなにいいやつである、もの知りであると喧伝することである。

もの書く人によって一方的に書かれるだけ

どれもみな、その内実はいっしょである。見よう見まねで、ものを読みものを書くことにたずさわるようになって数十年、ちんびらのごとき作家のはしくれであるほくがいやでも気づかざるをえなかったのはそのことだけである。

太宰を訪れた、親友は、もの書かぬ人の代表であった。それは読者ということさえ意味していない。もの読む人はすでに半ば、もの書く人の共犯であるからだ。もの書かぬ人は、もの書く人によって一方的に書かれるだけである。

正確にいうなら、自分は正しい、自分だけが正しいと主張することである。「私は間違っている」と書くことさえ、そう書く自分の「正義」を主張することによって、きれいごとなのである。もの書く人はそのことから決して逃れられぬのである。

-哲学入門

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