雑学

万葉集4500もの歌はどうやって集めた?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
明治時代の1円の価値は

万葉集4500もの歌はどうやって集めた?

万葉集4500もの歌はどうやって集めたのだろうか?万葉集は日本に現存する最古の和歌集である。八世紀後半に成立し、約四五〇〇種の和歌を収録している。文体は漢字一字で一音をあらわす万葉仮名で書かれていて、歌風は概して素朴であり、万葉調と呼ばれている。万葉集には野明天皇の時代から七五九年までに詠まれた、短歌・長歌・旋頭師・仏足石歌などが収録されている。約四五〇〇首という膨大な量にも驚くが、特徴的なのはその詠み手である。

天皇、貴族、農民、兵士など、身分に差別なく歌が収められているのだ。それゆえ万葉集には非常に多様性がある。興味深いのは東歌と防人の歌である。これらには親子の情愛、男女の恋愛、結婚の様子が描かれており、若い青年男女離恋愛観や結婚観もうかがえる。このような、種々雑多な万葉集の歌は、どのように集められたのだろうか。

契沖によると、万葉集は私撰であり、編者は大伴家持だという。もっとも、家持が一度に編纂したのでなく、古くから数人が集めていた歌を引き継ぎ、自分の手元の歌を加えて二〇巻にしたと考えられている。古くから数人が集めていたという歌集には、古歌集、柿本朝臣人麿歌集、田辺福磨歌集などがある。これらが集約されて、万葉集の編慕に利用されたのだ。

また、万葉集と言えば、大伴旅人や坂上郎女などがいる大伴一族を忘れてはならない。大伴一族で万葉歌人と呼ばれる人々は三〇人を超え、その歌は約七六〇首を数える。これは、万葉集にある歌の一七バーセントにも及ぶ。中でも大伴家持の作歌は、長歌四六首、短歌四三一首、連歌一首の合計四七八首を数えるのである。

万葉集の歴史

今日なお多くの人に読まれていて、各地で勉強会や講演会が開かれている「万葉集」。

万葉集とは、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本最古の和歌集。

5世紀初めの仁徳天皇の時代から、奈良時代の淳仁天皇の時代まで、約350年の間に詠まれた4500首以上の和歌が時代順、20巻に収められている。

東海道中膝栗毛主人公二人の特殊な関係

江戸時代のベストセラー、東海道中膝栗毛を十返舎一九が書いたのは一八〇二年、三十七歳のときだ。この物語は当初、弥次郎兵衛と喜多八が品川を発って箱根へ着くまでを描いたものだった。しかしこの滑稽本が出版されると予想外に大ヒットした。そのため十返舎一九は物語の終わりを箱根から岡部まで引き延ばした。それがまた初版を凌駕する売れ行きだった。

その後も、東海道中膝栗毛の人気は衰えずに次々に書き足されて、大坂から四国の金毘羅、安芸の宮島を廻って中仙道を通り、江戸へ戻ってくるまで書かれた。これで完結である。全部をとおして読むと二十年がかりで書き進んだので話に矛盾が多く、また前半の滑稽話を焼き直したとしか考えられない箇所も多い。それゆえ現代語に訳す場合、普通は伊勢参りで終わる。

この滑稽本が売れた理由の一つは、当時、伊勢参りを口実にした旅が流行していたからということがあげられる。身分制度の厳しい社会で庶民は抑圧された生活をしていたので、旅に出ることが唯一の楽しみだった。主人に無断で奉公人が家を出ても、お伊勢様のお導きということで構められずに済んだ。東海道中膝栗毛は、伊勢参りをするための親切な旅行案内の役割も果たしたのである。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加