あまりにも何度も暴力沙汰ということになると、反社会的人格というレッテルを張られるおそれがある。しかし、実は人間はだれもがいろいろな性格の側面を持っている。いくつかの性格傾向をそなえている。もし特定の性格傾向だけが極端に大きな比重を占めて、ほかの傾向との調和がないと、そのことが一つの性格の病理になる。
組み合わせによってそれぞれの性格のどの面があらわれるかという場合の人柄の性質を「性格傾向」と言う。性格傾向という言葉でいまの二人を語るならば、依存型の性格傾向の持ち主だ。絶えず威張ったり、人をいびったりしている面もあるようで、たしかに攻撃型、あるいはサディズム型の性格傾向を持っている。
特定の性格傾向ばかりが、どの場面でも、どういうときにも主役になってしまうと、そのパーソナリティは融通性がなくて硬直し、性格の病ということになる。しかも、本人や周囲が、これでは困る、何とかしなくてはと思いながら、どうにも変わること、変えることができないのがパーソナリティの障害である。
不幸な組み合わせ
不幸な組み合わせーいわゆる腐れ縁とでもいうかーができ上がって、とくに被害者になった人は、そこから何とか逃れよう逃れようとしながら、いつまでも逃れられなくて、「これが私の運命だ」とあきらめ、忍従の人生を送ることもまれではない。
何度も相手から離れようとは思った。しかし、相手からどんなにひどい目に遇っても離れられないということになると、依存型パーソナリティ障害になってしまう。いくら反省しても暴力沙汰を繰り返すということになると、サディズム・攻撃型の反社会的なパーソナリティ障害と診断されてしまう。
苦痛に耐えなければならない運命なのだと、どこか自分に言い聞かせている節がある。最初は、豪快で、喧嘩も強いし、り斐があると思って一緒になった。この心理をさらにたどると、ただ単に依存的なだけでなくマゾヒズム的な傾向にもいきつくことになる。