雑学

古代オリンピックには女性の祭典もあった

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「ウォーキング」を生活に取り入れている人は

古代オリンピックには女性の祭典もあった

世界的なスポーツの祭典、オリンピックと言えば、現代では老若男女いっしょになって応援し、楽しんでいる。だが古代オリンピックでは違っていた。古代ギリシア時代におこなわれていた古代オリンピックは、たとえ戦争中でも前後三ヵ月間、ギリシアのあらゆる都市国家は戦争を中断したといわれている。それほど重要な祭典であり、ギリシア中の都市国家が参加する民族的な行事だったのに、女性は排除されていたのである。

オリンピックの参加資格の第一は、純粋のギリジア人男性であること。女性は競技に参加することはおろか、見物することさえ許されなかった。だが、その代わりオリンピックが開かれたのと同じオリンピアで、女性だけの祭典が開かれた。この祭典はゼウス神の妻のヘラ女神に捧げられたもので、ヘライアと呼ばれた。ヘライアもオリンピックと同じく四年ごとに開かれたが、種目は一つしかなかったのである。

オリンピックの種目ははじめ短距離競走だけだったのが、しだいにふえていったが、ヘライアの種目は徒競走だけだった。祭典を取り仕切ったのは、一六人の女性とその助手たちであり、優勝した選手にはオリンピックの優勝者と同じオリーブの冠と、いけにえとしてヘラに捧げられた、子を産んでいない雌牛の肉一切れが与えられた。またオリンピックの優勝者は、自分の像を建てることを許されたが、同じようにへライアの優勝者も、ヘラの神殿に自分の姿を残す栄誉を許された。

古代オリンピックが始まったのは、考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろとされている。古代ギリシアでは四大祭典競技として、オリンピアのほかにデルフォイのアポロン神域で催されたピュティア祭、イストミア祭、ネメア 祭(前573)があった。

「古代オリンピック」の祭典競技第1回目が開催されたのは、記録によると紀元前776年とされる。紀元前から行っていたのだから凄い。

1896年に第一回大会が行われた際は参加国が14だった近代オリンピックは、2016年には参加国数は過去最多の205か国、参加人数は1万1000人という。

ヨーロッパの基礎を築いたインフラ整備

口ーマ帝国の大規模な建築物というと、円形闘技場や大浴場などがおもい浮かびがちだか、実のところローマ帝国最大の建築物は道路だった。帝国の領地がどんどん広がっていくにつれ、ローマは中央と地方との連絡のために道路を盛んに作り、交通網を整備していったのである。

ローマ帝国が築いた幹線道路は、ローマ道と呼ばれ、最盛期には約二九万キロに達したという。広大な帝国の各地とローマを結び、すべての道はローマに通ずとまでいわれた道路網である。この大道路網の建設は、紀元前三一二年、ローマがイタリア半島の小国の一つにすぎなかった時代に早くも始まる。

当時のローマは、北のエトルリアと南のサムニテスに挟まれて苦戦しており、サムニテスに対抗するため、アッピウス・クラウディスの提唱によって同盟国のカプアまで道路を建設した。これが提唱者の名をとって名づけられたアッピア街道である。アッピア街道によってローマ軍は機動力を発揮してサムニテスを破り、カプアをも支配下に治めた。これ以来、ローマは軍事上、道路建設を重視し、軍の進攻に先立って道路を整備するようになったのである。

ニンニクパワー-エジプトのピラミッドを建てた力

ニンニクというとスタミナの元とすぐ思いつくが、エジプトのピラミッドはこのニンニクのおかげでできた、といったら言いすぎだろうか。紀元前2700~2500年の昔から、ニンニクの強壮効果は広く知られており、ピラミッドの建設工事に狩りだされた奴隷たちに、このニンニクが配られた。ニンニクでバワーをつけさせて、目いっぱい働かせようという魂胆だったのだろう。巨石を運んだり丸太をかついだりして疲れた体に、ニンニクはうってつけの妙薬だっただろう。

しかし、ニンニクさえ食べていればスタミナがっくかというと、そう簡単なものではない。まず長期間、大量に食べ続けるのは逆にマイナスになるというのは、ニンニクの強烈な匂いの素であるアリシンには強い殺菌力があり、細菌だけでなく体内にビタミシを作る有効な菌まで殺してしまうからだ。また、血液の中の赤血球をとかし、貧血を誘発しやすくなる。だから、生のニンニクならー日ー片、加熱したものなら2片が限度であろう。

一方、精力をつけるのは二ンニクの中のスコジンだ。新陳代謝を活発にしエネルギーの素になるうえ、ホルモンを刺激するため強壮効果もある。肉の入った野菜いためなら匂いを抑え、栄養のバランスも良いのである。

よく歯を磨く達者者

甘口、辛口、塩味というと、何か食べ物のことかと誤解しがちだが、これが歯磨き粉のことなのだからおどろき。その種類の多さには、選ぶのに迷ってしまう。江戸時代の歯磨き粉は、なんといっても歯が真っ白になるのがもてはやされた。虫歯予防など衛生面は、全くかえりみられなかった。というのは、歯が白いことが美男美女の基準の一つと考えられていたからだ。

当時の歯磨き粉の材料には、米ぬかを焼いたもの、軽石を焼いたもの、若葉を焼いたもの、青竹に塩を詰めたものなどが用いられた。最も優れていると言われたのが、房州砂を材料とした江戸製で、竜脳や丁子などが香料として加味されていた。

砂の入った歯磨き粉でみがくと、確かに歯は白くすべすべになる。しかし、歯の表面を保護しているエナメル慣が削り取られ、虫歯になりやすいという弊害があった。それでも歯を白くしたい一心で砂歯磨きを使う洒落者が多く、一般の人々は歯の白い若者に対してはよい感情を持っていなかったようだ。

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