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哲学入門

ものを書く人

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もの書く人である太宰は、もの書かぬ人の全身を使っての抗議に、ただ頭を下げるだけである。もの書く人太宰は、もの書くことの「正義」という名の不正義を知る数少ない作家である。だから、もの書かぬ人の乱暴狼稿にも文句をいわない。文句をいわれないから、もの書かぬ人はいっそう惨めな気持ちになる。

もの書かぬ人はそのことを本能で知っているものだから、ひどく悲しくて、もの書く人の前に来て悪さをするのである。もの書く人ともの書かぬ人は不倶戴天の敵同士である。そして、ふだんはそのことに気づかぬふりをしているのである。だが、「親友交歓の中で、もの書く人ともの書かぬ人はそのことに徹底的に気づくのである。

「この溝は超えられぬ。だから、お前はいつまでもその不正義を行使するがいい。おれは死ぬまで、お前のやることを見ているぞ」といっているのである。そのことをもの書く人にいえるのは、もの書く人の敵だけである。

馬鹿なのはもの書く人の方である。なにをしていいのかわからぬのである。だから、もの書かぬ人は先に「威張るな」といったのである。それは「わかった」ということなのだ。「お前の立場を理解した」ということなのだ。

自分が倣慢に下品になることを恐れているあいだ

「もの書かぬ」農民の「威張るな」という罵声を首を垂れて受け入れる太宰が、新進作家三島由紀夫には、倣慢の極致とも言える態度に出ている。三島自身が言っていることですが、彼は一度だけ飛ぶ鳥を落とす勢いの太宰に会ったことがある。そこにはイヤシイ彼の取り巻き連がうごめいており、その雰囲気への反感をも込めて三島は太宰に紹介されるや「ぼくは太宰さんの文学はきらいなんです」と言った。

自分が倣慢に下品になることを恐れているあいだ、自分を他人を傷つけることを恐れているあいだは、もの書きにはなれない。もの書きとはあえて自覚的に倣慢と下品とを選び取った人々なのです。

敵だけが親友になれるのだ。太宰が自分の倣慢さと下品さを骨の鶴まで自覚しても、それでも「書くこと」を選ばざるをえないこと、ここにもの書きの宿命とでも言いましょうか、不幸とでも言いましょうか、が生じてくる。

-哲学入門

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