雑学

日本で最初の遺体解剖は誰なのか?

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アンネの日記は

日本で最初の遺体解剖は誰なのか?

日本で最初の遺体解剖は誰なのかご存知だろうか?江戸時代から明治にかけて、医学の進歩のため多くの遺体が解剖された。そのほとんどは死刑になった囚人の遺体だったが、なかには本人の生前の意志によって行われた篤志解剖もある。日本で最初に篤志解剖を願いでたのは、宇都宮鉱之進という蘭学者だった。

重病にかかったため、一八六八年、自分の死後に医学教育のために遺体を解剖してもらいたいと病床から願いでたのである。この申し出は翌年二月に許可がおりたが、実行されることはなかった。奇跡的に病気が回復したからである。結局、日本初の篤志解剖がおこなわれたのはその年八月十四日のことで、ミキという三十四歳の女性だった。

ところで人体解剖というと、医者や医学生が医学の研究や勉強のために行うものと、誰しも考える。だがルネサンス時代のイタリアでは、なんと画家たちが人体解剖に関わっていた。天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチも解剖学者として活躍していたのである。ルネサンスの画家たちは、それまでの類型化した絵画に代わり、人体を写実的に生き生きと描こうとした。そのためには胸や腕など、人体の筋肉の凹凸がよくわかっていないといけないというので、画家には解剖学の基礎が必要と考えられたのである。

そこでダ・ヴィンチも人体解剖に励んだというわけだ。現在でも美術系大学などで解剖学の講義が行われているのはこのためだ。絵のために経験した人体解剖だが、このルネサンスの天才は解剖学者としても大きな業績を残したc解剖学は人体の構造を絵に描かなければならない。優れた描写力をもつ天才画家は、解剖学者たちよりはるかに優れた解剖図を描くことができたのである。

ちなみに、解剖の仕事に就くには、大学の医学部への進学が必要。そこで「解剖学」を専攻することになる。医師 ですので、医学部へ行き、免許を取得。
司法解剖をする医師を監察医という。病理解剖ならば大学に残って研究というルート。

司法解剖を行うことができるのは「大学病院や医学部で勤務しており、法医学を専攻している医師」。医学の1つの分野。各大学の法医学教室では、警察の依頼により、不審遺体などの司法解剖が行なわれている。

毒が効かなくなった

むかしから、毒と薬は紙一重だとよく言われる。毒をさす英語のポイズンは、ラテン語で、飲み薬を意味する。ほとんどの薬は、一定の量を超えると人体に有害な毒となるのである。そして薬のなかには、常用しているうちに効き目が薄くなっていくものがあるが、毒のなかにも少量を服用しているうちに体が慣れて、効きにくくなっていくものがある。

それについて紀元前二世紀、群雄割拠していた時代のエジプトに、おもしろいエピソードがある。当時のエジプトは小国にわかれて争っている時代で、暗殺でよく用いられたのが毒薬である。そのため国王たちの多くは、毒薬と解毒剤の研究を熱心に行った。とくに研究熱心だった国王にポントス王ミトリダテス六世エウバトルがいたのである。

エウバトル王は、五一種類の葉を配合した解毒剤を発明し、なんと自分の体を使って人体実験をおこなった。自分でこの解毒剤を飲んだあとに薄めた毒を飲み、両方の量を少しずつ増やしていったのである。やがて口ーマに攻められ、敗れて追いつめられたエウバトル王は、妻子とともに自殺をはかった。まず妻子に毒薬を飲ませ、その死をみとどけたうえで自分も毒を飲んだのである。だが解毒剤の実験で、彼は毒が効かなくなっていた。そのためやむなく家来に命じて殺させたという。

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