雑学

一瞬、咄嗟、刹那のそれぞれの意味の違いは?

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耳の中に鉱物油を注入

一瞬、咄嗟、刹那のそれぞれの意味の違いは?

びっくりして、あっといって立ちつくしている間に起こってしまう出来事というのは本当にあるものだ。スリにひったくられたとか、子供が車道に出てよちよち歩き出したとか、一瞬、体が凍るような思いにとらわれることがある。この一瞬とは、読んで字ごとく、バチッと一つ瞬きする間のことで、ほとんど瞬間的な短い時間のことだ。この瞬間も一瞬と同じ意味だ。同じような言葉に、咄嗟(とっさ)いうのもある。

咄嗟というのは、舌打ちしてうなる、あるいは息を吐くという意味だから、これもごく短い時間だ。短い間ということでは、刹那(せつな)という語もひけをとらない。どれくらい短いかというと、これは仏教書にも書かれているように、一昼夜=三十須臾などとなっており、一昼夜を24時間として計算すると、刹那はたったの75分の1秒となる。日常的には一瞬も刹那も、同じようにほんのわずかの時間の意味で使われる。

咄嗟の「咄」は、チェッと舌打ちする動作やその音を意味し、日本では「はなし」と読まれ、「噺」と同じく落語を意味する。「とっさの時」は、短時間で/すぐに対処しなければいけないときという意味で使う。

「咄嗟の出来事であわててしまった」「咄嗟の機転で窮地を切り抜けた」などのように、突然わが身にふりかかる瞬時の出来事を言う場合に用いることが多い。

日本の小説などで「突嗟(とっさ)」と書かれることも良くあるが、「突嗟」は「咄嗟」のことだと思う。

醍醐味って一体どんな味のこと?

よく、これぞ野球の醍醐味とか、釣りの醍醐味を満喫するなどと使われるが、本来の醍醐味とは、どんな味を言うのだろうか。日本の食生活は菜食の伝統が長かったが、奈良・平安時代は乳製品を食べていた。といっても庶民には縁がなく、もっぱら貴族専用だったようだ。

乳製品は五味と呼ばれ、乳・酪・生蘇・熟蘇、それに醍醐の五つがあった。このうち醍醐とは、牛や羊の乳から作った蘇という飲み物をさらに精製したもので、甘味のある濃厚な飲み物のことをいった。いまの食品でいえば、特製のヨーグルトといったところであろうか。それだけに大変珍重され、これが起源で、素晴らしい味のことを醍醐のような味、すなわち醍醐味と呼ぶようになった。

仏教でも醍醐のことを最高の境地である涅槃に例えられ、一般的に物事の最高の段階を表すようになった。なお、ヨーグルトは大量生産の技術が確立する前は、どの国でも貴重だったようで、イスラム教の始祖マホメットは、その作り方を秘密にし、信者にだけ神の薬としてあたえたという。グルメ全盛の現代人が、本来の醍醐を味わったとしたら、一体どんな感想をいうのだろう。

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