雑学

豊臣秀吉と千成瓢箪

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明治時代の1円の価値は

豊臣秀吉と千成瓢箪

織田信長が生涯夢見て成し遂げることができなかった「天下統一」の夢。それを果たした人物が、豊臣秀吉。織田信長亡き後、天下をとったのがこの木下藤吉郎改め、天下人の「豊臣秀吉」だ。

瓢箪。豊臣秀吉の馬印。大きな金色の瓢箪を長い柄の先端につけ、その下に暖簾のような金色の切裂をつけたもの。戦国時代によく使われた馬印は大将の、戦場の本陣で大将の馬前に立てたことから、この名がついた。

有名な馬印は、豊臣秀吉の「千成瓢箪」である。戦国時代の馬印といえば、一番に秀吉の「千成瓢箪」が頭に浮かぶ。

一番に秀吉の「千成瓢箪」が頭に浮かぶ

秀吉はなぜ千成瓢箪を馬印にしたのか。永禄十年(一五六七年)、信長が美濃に攻めたとき、秀吉(当時の名は木下藤吉郎だった)が知略をめぐらせ、裏山伝いに城に潜入。

竹竿に瓢箪をつけ、合図として高く掲げ、を攻め込ませて勝利した。これが八月十五日のことで、それ以来、秀吉は馴簡単を印として使うようになった。

秀吉は馴簡単を印として使うようになった

六つ揃えば無病(六瓢)息災といわれ、秀吉は戦いに勝つ度に、馬印の瓢箪を一つ一つ増やしたなんて伝わっている瓢箪。秀吉は 戦に勝つ度に馬印の瓢箪を増やしていったとか。だからよく秀吉の馬印のことを、千成瓢箪と言い、千と成すという意味である。

わが国の特許第一号

・特許第一号

発明が奨励されるようになったのは、明治になり文明開化が強調されてからだった。近年は商品開発が盛んに行なわれていることから、特許出願も多い。ところが江戸時代、幕府は「社会秩序を乱すおそれがある」という理由で、新しい発明や工夫を抑えていた。

東京の堀田瑞松が「鉄・銅製品のサビ止めの塗料とその塗り方」を特許出願。明治十八年(一八八五)のこの日、許可が出されたが、これがわが国の特許第一号とされる。この塗料は漆や渋柿、アルコール、鉄粉などを素材にしたもので、許可の理由は「新奇有益な塗料」というものだった。

高田屋嘉兵衛が軍艦につかまる

高田屋嘉兵衛が軍艦につかまる

・高田屋嘉兵衛

文化九年(一八一二)のこの日、衛は四人の水夫とともに観世丸に乗り込み、択捉島の海産物を箱館へ運ぶため、航行中だった。ところが国後島沖でロシア軍艦ディアナ号に捕まり、カムチャツカに連行されてしまった。

高田屋嘉兵衛は江戸後期の海運業者で、択捉島航路を開いたり、漁場設置、官船の建造などの功績が認められ、地御用定雇船頭として名字帯刀が許されていた。前年六月、長ゴローニンらが日本側に逮捕されたことへの報復と、ゴローニンらの安否を確認するためだった。しかし、翌年九月、嘉兵衛とゴローニンを交換することで決着をみた。

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