哲学入門

学者の立ち回りが下品で野心的

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二流(以下)大学の先生方と比べてとくに野心的でもとくに下品でもない。むしろ、一流(以下)大学の先生方の中に、どうしてしまったのだろうと思うほど下品で野心的な人をよく見かけます、と語るある専門家。彼らは扉のすぐ前に並んでおり、扉が開くやごく普通にしかしサッサッと歩くと、眼の前に席が空いていたのでスルリと腰をおろしただけなのです。

わずか数分前にドタバタ席取り競争をした者は、座るやいなや眠りこむのが普通。その変わり身の早さは見事というほかはない。一般に学者や芸術家たちは、どんな陰険な手段を講じても「東大教授」や「文化勲章」という名の席を、汗みどろで確保しようとする。そして、それを確保したら「やあ、なんだか今回こんなことになっちゃって、自分でも驚いているんですよ、とゆったりと静かに言う。

と、こんなことばかり言っておりますと、「いや、私はべつにわれがちに大奮闘したわけではなく、ただコツコツやっていたら東大に呼ばれただけですよ」と言いたげな顔がチラチラします。ココゾというときの判断に優れていること、つまり要領がいいことだけは確かです。

サッと腰をすべらせ

あるいは、後ろから人々に押されて車内になだれ込むと、しばしの大奮闘のすえアッというまに全席が埋まってしまったのに、なぜか自分の前だけポッカリ席が空いており、一瞬夢ではないかと思うが、そこにサッと腰をすべらせ八王子」まで座れた人もいます。

学者は小学生のころからずっと優等生、すなわち学力戦争に勝ちっづけてきが多い。そのため、他人に負けることに耐えられない人、その裏返しとしての名誉心の強い人が多い。そんな者ばかりが学会や大学に集まっているのですから、壮絶な「名誉のための闘争」も想像がつくというもの。

学者の生態について批判精神をぶつけたら、きりがありません。学者はたいへん謙虚でもあります。ほとんどの学者が、膨大な量の調べ物とだれも読まない論文作成に精力を使い果たす。そして、その結果有名にも金持ちにもならない。しかし、世間的には無名であるからこそ、その内部では名誉を求める壮絶な戦いがくりひろげられるのです、とある専門家は語った。

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