雑学

ダビデ像のダビデっていったい誰?

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耳が詰まる

ダビデ像のダビデっていったい誰?

ダビデ像のダビデっていったい誰なのか?中世イタリアにおいて、フィレンツェは自治都市として栄えていた。そしてメディチ家による芸術の奨励とその保護のもとでイタリア・ルネッサンスが花開いた。宗教的な政治支配を目論むサヴォナローラの追放と支配的なメディチ家の退廃の後、フィレンツェの人々は新しい民主主義の実現を目指すこととなる。そこで、彫刻家として名をはせていたミケランジェロは、新しい共和制国家フィレンツェのシンボルとして大理石像の製作を依頼された。

大理石は高さ約五メートルで、大聖堂の職人らが何年か前にカッラーラの山から採掘してきたものだった。ミケランジェロは一年半でこの像に魂を吹き込んだ。それが、ダビデ像である。この像をどこに置くかでフィレンツェの美術家委員会は紛糾したが、最終的には出来るだけ多くの人に見てもらいたいというミケランジェロの希望通りに、政庁舎前に設置された。もちろん、その像は市民に熱狂的に迎合された。

ところで、ダビデとは何者だろう。実はダビデとは、旧約聖書に登場する英雄である。旧約聖書によると、幼少時のダビデは羊飼いだった。羊は迷子になりやすく、時には襲ってきた野獣を退治しなければならない。彼は羊を守るために長い杖や投石器でライオンや熊と戦った。また、ダビデは若い頃に、ぺリシテ人の大男ゴリアテと一騎打ちで戦ったのである。

旧約聖書に登場するダビデ王。イスラエルのサウル王の家来だった時に、石投げ器で石を投げて敵のチャンピオンだった巨人ゴリアテを倒した。

ダヴィデはヘブライ人(イスラエル人)の部族の一つユダ族の一人であった。ダヴィデ王は、北部のイスラエルと南部の地域を領域国家として統治した。

ダビデはユダヤ人にとって特別な存在として記憶に刻まれてきた。ダビデこそ、ユダヤ人にとって理想の王の姿だったからだ。

イスラエル人とぺリシテ人との紛争は

イスラエル人とぺリシテ人との紛争は古来より続いていた。ぺリシテ人の土地は不毛だったので、イスラエルの肥えた小麦畑などから作物を奪っていったのだ。大男ゴリアテは強敵だったので誰もが戦いを避けたが、ダビデは勇気を出して戦い、投石器で石を打って一発で命中させて倒した。

その後、彼は古代イスラエル王国第二代の王となる。そして紀元前1100年頃にはじめてイスラエルの民を解放し、外敵を倒して、エルサレムを首都とする国家を築いた。このように、ダビデは勝利と平和の英雄として古来より称賛されてきたので、フィレンツェの人々はダビデを自由と解放の象徴として崇拝したのである。なお、百年前までダビデは政庁舎前に立てられていたが、現在は損傷が激しくなったため、アカデミア美術館に移転されている。政庁舎前の像はレプリカである。

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