雑学

武士の髪型-月代(おでこ)を剃っていた理由は?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
理容院は明治維新の頃に横浜で生まれた

武士の髪型-月代(おでこ)を剃っていた理由は?

武士の髪型である月代(おでこ)を剃っていた理由はご存知だろうか。時代劇通ならご存じのとおり、月代と呼ばれる部分だが、なぜ武士は月代を剃っていたのか。武士が月代を剃っていた理由は、時代劇に登場する武士はみな、おでこの上の部分を剃っている。これは合戦があったころの名残りだという。

武士にとっては月代を剃るのは最低限の礼儀であり、一般の武士も起床後に毎日剃っていたようだ。

日本では、血と血で血をあらう合戦が頻繁に行われ、鎧、兜に身を包んだ武士たちが戦いに明け暮れていた。この鎧、兜は、あわせて七〇キロというしろもの。しかも重いだけでなく、風通しが悪いときている。

兜を付ける時には

兜を付ける時には、髷をほどいてザンバラ髪にして、頭頂に手ぬぐいを置いて被るが、髪は汗でびっしょりになってしまう。

室町時代後半から徳川家康が江戸に幕府を開くまで一世紀ものあいだ、戦国・乱世が続いたが、武士達の兜の風通しは非常に悪く、すぐに蒸れてしまう。それを少しでもしのぎやすくするために、額の上の部分すなわち月代を剃ったのだ。それからさらに時代がくだり、江戸庶民の中にも月代を剃る男が現れたが、これはただ粋がって剃っていただけである。

幕末、日本にやってきた異国人はチョンマゲ姿の日本男児を見て、こう驚いたそう。今の若い人たちの奇抜な髪型からは想像もできないことですが、江戸では月代を伸ばして外出することは御法度だったようだ。

武士は切腹が名言な理由

罪を犯して死罪となったとき

罪を犯して死罪となったとき、斬首と切腹では同じ死罪でもまったく意味が違った。斬首は悪人として幕府(国家)から処罰されるということにほかならないが、切腹にはそうした二ュアンスは希薄である。

江戸時代の武士にとってもっとも名誉な死に方といえば切腹だった。ではなぜ、武士は切腹を名誉と考えたのか?

切腹には武士道からくる名誉の尊重や死を恐れぬ勇気などの意味がつけ加えられ、いよいよ武士の死に方は切腹こそが最高となった。また、時代考証家によれば、当時の武士の間では人間の魂や感情の源泉は、腹中にあると考えられていたからだという。

つまり、自ら腹を切るということは、自分のほんとうの魂や感情を披瀝するということになり、ここに、切腹=自分の汚れなき精神を見せるという意味が生まれた。今でも、オジさんたちが腹を割って話すのが大好きなのは、その名残りかもしれない?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加