雑学まとめ

当サイトでは、明日すぐに友達に話したくなるような、あらゆる情報を紹介しています。

政治

アメリカは自分たちの直接的な侵略に抵抗する人々をテロリストと呼ぶ

投稿日:

9・11が歴史の流れの顕著な転換点とする主張について考えよう。これには疑問の余地がある。とはいえ、あの恐ろしい日に、何か非常に新しい、それまでとは全く異なることが起きたのは間違いない。アメリカは、自分たちの直接的な侵略に抵抗する人々をテロリストと呼びさえする。

南ヴェトナム人がそうだったし、最近ではイラク人がそうだ。アメリカとイスラエルがヒズボラを世界有数のテロ集団と見なすのは、そのテロ行為(事実である)ゆえではなく、イスラエルによるレバノン南部占領に抵抗するために結成された組織だからであり、国連安保理の撤退命令を二〇年にわたって公然と無視し続けた侵略者を追い払うことに成功したからだった。

テロに対するアメリカの公式定義は不明確であり、アメリカ及びイスラエルと世界各国との間で見解が著しく異なっているにもかかわらず、それは現下の目的に充分適うように見える。レーガンが悪しきテロの災褐と呼んだものについて国連が強く非難したことと、いつもの二カ国の反対票によるその結末について、一般の人々は何も知らない。歴史を記した記録文書や、顧みられていない評論などを調べなければならない。

禁じられた領域に入っていかなければならない

そうしたこと知るためには、禁じられた領域に入っていかなければならない。史上初めて、裕福かつ強力な国家への攻撃が、そうした国家の伝統的な勢力圏では遺感ながら決して珍しくない規模で、成し遂げられた。標的はキューバでもニカラグアでもレバノンでもチェチェンでも、その他の国際テロの伝統的な犠牲者でもなく、未来を決定する絶大な力をもつ国家だった。

西洋の特権階級に属さない論評者たちは、9・11の残虐行為に対して、人道に反する犯罪への恐怖と犠牲者への同情の念を表すと共に、こちらも同じ状況だという反応をしばしば示した。一九六〇年代初め、あるいは建国当時からこの地域を襲った暴力と抑圧という不幸を、ラテンアメリカの人々はなかなか忘れられない。とりわけラテンアメリカではそれが顕著だった。そうした不幸の一因は、ケネディ政権が一九六二年に下した決断にあると言える。

-政治

執筆者:

関連記事

no image

反体制出版や人権活動家による反体制運動の高まりに見られるように

スターリンは重工業中心の集権的な経済制度を確立していたが、それは非常に融通性を欠き、変化に対応できないものであった。そのため、成長しつつあったサービス産業に労働力を移転することができなかった。 国民に …

no image

西側世論がNATOの介入を支持するように仕向けること

国連は難民登録を始めた。こうした基本的な事実は、一九九九年三月にミロシェヴィッチが起訴された時にはよく知られていた。西側の富裕国の記録資料は三月二四日の空爆が始まるまで重大な変化を何一つ記していず、あ …

no image

フランクリン・ルーズヴェルトは第一次世界大戦の過ちを避けたいと願っていた

戦時下の大半にアメリカの国務長官を務めたコーデル・ハル(CordellHull)は、熱心なウィルソン主義者であり、アメリカ世論も国際連合を強く支持していた。この大構想を推進するために、ローズヴェルトは …

no image

ブッシュ政権はEU、国連、露、米によるロードマップの公式発表を妨害

イスラエルの入植地はほぼどこでも、植民活動が急速に進められており、交通とアクセスのパターンに大変革をもたらしている。それは、大きく拡大されたイスラエルの中で統合されていったこれらの土地を恒久的に支配す …

no image

戦争中のプロパガンダを助長させた違い

一九四〇年代末、トルーマンはオールド・ジョーを、好んだ人物だが、思い通りのことができない共産党政治局の囚われ人と見ていた。白人の方には下品な演名ではなく名前があった。これは通常の人種主義からくるのかも …