ファッション

アメリカ国内の毛皮の売上は一九八七年には二三億ドルに上ったが

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クスなどの団体が毛皮反対の一大広告キャンペーンを行った。当時話題になった広告には、血染めのファー・コートを引きずる女性の姿にこんなキャプションを付けたものがあった。「ファー・コートを一着作るには、日の利けない哀れな動物が最高で四O匹も必要なのに、着るのはたったひとりだけ。

アメリカ国内の毛皮の売上は、一九八七年には二三億ドルに上った。しかし、悲しいかな、肥大したブーム(たとえば、ディスコ、レオナルド・ディカプリオ、キャベツ畑人形)の宿命か、毛皮人気の盛り上がりは必然的に反発を招くことになる。一九八年代、イギリスでは、ヘリンサガ・ファーズサガ・ファーズ・インターナショナル・デザイン・センター。デンマークにある毛皮の研究、マーケティング、商品開発などを行う組織。

一方、世界中の街角では、スプレー缶を持った活動家が毛皮愛用者に赤ペンキをお見舞いしていた。実際に襲撃された人の数は正確にはわからないが、のちのちまで語り草になりそうな嫌がらせが数多く起こったのは確かである。

ミーイズムの一年が終わると

「ミーイズムの一年」が終わると、派手な消費に厳しい目が向けられるようになり、それに伴って、毛皮は八〇年代の過ちすべてを象徴する存在となる。残酷さと結び付けて考えられるようになっただけでなく、当時の醜い貧欲さとわがままのシンボルにもなった。

八〇年代の子どもたちは、毛皮を着ていればスプレー缶で攻撃されるのが当たり前だと信じて育ったくらいだ。また、毛皮獣がガス室送りになったり、水攻めされたり、殴打されたり、肝門から電気ショックをかけられたりする様子を描いた、身の毛もよだつような毛皮反対文書も出回った。よほどサディスティックな人間でない限り、ひいてしまったものである。

気がつけば、警沢はとつじょ恐ろしく古くさいものになっていた。世はネル・シャツとアーミー風カーゴ・パンツに体現されるグランジ時代に入り、毛皮抜きでファッションが成り立つようになったのである。

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